水曜日, 7月 12, 2006

The New York Times たいむず; ガス爆発と報道姿勢

昨日、高級住宅街の一角でガス爆発騒ぎがあり
ました。日本でも朝のニュースの一つとして報道
されたらしいですが、ネタ程度の話でしょうね。

もちろんマンハッタンではそれなりに関心を呼び
ましたが、慣れというのは怖いもので、ほとんど
の人が無関心、もしくは発生時の限られた情報
の中でも、冷静に”事故であろう”と結論付けてい
ました。


事件*の詳細ですが、記事をお読みください。

*結果的には事故ではなく事件


ひとの諍いというのは怖いものですね。 これで
は戦争がなくなるわけがない。


さて、

事件の重大性はともかく、メディアとは何かとい
う点を毎度ながら考えさせられた記憶として残
る出来事でした。
















朝食直前に眠い目をこすりながら新聞を拾って、
一面を開いたらこの画ですよ・・・。

しかもその真下には激写に添付した写真が掲載
されています。すべて事実ですし、報道という観点
からは公平です。

しかし、大学の講義ではないですが・・・







新聞の表現のしかた






を考えさせられます。どこまで書いていいのか、ど
こまで画を載せていいのか。

新聞は中立的立場で報道すべきである、なんて
いう話をよく聞きますが、NYtimesは営利企業で
す。株価はにっちもさっちもいかないですが、 最
終的には、




売ってなんぼ





です。売るためには面白いほうがいいでしょう?

議論をするためには前提条件をすり合せる必要
がありましょうが、報道の世界ではそれが極めて
難しいのが事実でしょう。

ジャーナリズムとは本質の成就が難しい職業で
す。


本日の激写;
新聞、一枚の写真、報道のあり方


NYタイムズより